文藝と絵畫

芸術に関して思うところ、芸術の試み、日々の雑感。

詩『回る』

回る

           イヴ・タンギー

直線上の回転木馬
繰り返していたい、そう、いつまでも。
気づかぬ間に刻まれた目盛りを過ぎると、
無償の美しさは溶け出す。
眩暈がその中腹あたりに到達した際、
後方へと、長い髪が重い風に靡いた。
そこで、ついに、
観測者、「事実」と王が跨る鞍に、
小人の投げた槍が刺さった。

悲鳴を上げる木馬の、
裂けた腹から「器官」が溢れ、
疲労したあぶみは
靴と共に跡形もなく崩落し、
太陽から出発した上下運動は停止した。
串刺しにされた、可愛らしい木馬、
海を吐き出し、旅を食む。

不能の木馬はそのまま、
徐々になめらかな事物へと移行をする。
彼らの目を差し置いて、
自身の外側で、
一番遠い天体までの距離を持つであろう、
自身の内側から、その先の、
小さな盲た神によって所有される
「全て」の「有る」暗闇に没頭しながら。

それは天と地の区別のない、
横倒しになった、
単一で極彩色の、
形のない「同時」であった。

それは一人身であった小人の母親の
性的興奮、
もしくは恐ろしい勢いで止まり、対をなす、
一個の軸の無い独楽と均一であった。

それは首をかしげた人工衛星が見た、
ある太陽の紀元前における一場面であった。

それは君の知る唯一の
「狂気」
であった。

そして、それはよく回った、
回りきった木馬の、
逆立ちの全身を支える、
頭の一点であるのかもしれない。

あるいは、月並みな、
一木馬の骨の理想であり、
磔にされた海の夜であるのかもしれない。

それは哲人の国に流れ着いた、
最古の物語に現れる、
ひとつの粒子であるのかもしれない。

それは唯一君の知らない
「宇宙」
であるのかもしれない。

不能の木馬にはそれがわからなかった。
木馬は、
とある荒い布の縫い目に
電話をかけるふりをして、
両手を広げた赤ん坊のような、
あの水平線に跨って、
停止をしていた。

しかし、その答え自体が、
空から、
自らが全能の木馬となることを、
軌跡を失った円の真ん中に、
唐突に証明していた。

燃えるおが屑の底で、
王は発作的に笑っていた。
木馬は、
直線は、
既に回られていた。

そして、事実、
蹄の先に塗られた絵の具までもが、
対置された色の左にはいないはずの友人と、
無言の咆哮を続ける動力装置について、
考えることをやめてはいなかったのだった。



2014年