芸術一考
西洋の価値観はプラトンのイデア、すなわち永遠不変の「有」があるという立場によるものであり、それは理知の美、豪奢の美、自然を理知 によって組み上げる美である。西洋の城に付属する、入念な組み合わせが施された庭は自然の恣意的解釈の最たるものであり、そこには理知の美がある。また、そのように考えればマラルメの詩は現在までの人間が成し得る理知の美の到達点であると言えるだろう。
東洋の価値観は龍樹の空、すなわち不変の存在は「無」であるとする 立場によるものであり、それは自然にある美、簡素の美、自然の一部を抜き出した美である。日本で言えば短歌・俳句や枯山水、水墨画、 茶の湯のわびさびなどに簡素の美の頂点を見ることができる。
芸術は人間による自然の恣意的な解釈である。プラトンと龍樹の真理は現今の存在・非存在に関わらずその全てを包含するものであるが、 存在するところの人間はそれを理解しえないため、現今に存在する人間 の理解しえる真理、すなわち美に絶対の価値基準を置くこととなり、西洋の美は神に代わる存在、そして東洋の美は死に代わる存在となった。
芸術の存在理由はこの唯美の立場からなる。その芸術とは美術・文学・音楽など、人間が美しいと感じる人間の手による諸産物である。そして 美の追求とは自然の動物の人間という認識主体だけが成しえる、存在の究極点に合一する行為である。